
【SHINYAKOZUKA】2023AWについて

2023 AUTMUN WINTER COLLECTION
ISSUE #3
デザイナー : 小塚信哉氏より
落語が好きです。厳密に言えば、立川志の輔師匠の落語が好きで、自身の憧れの対象の1人。
言葉のみで聴き手の脳内のスクリーンに映像を浮かばせて仕事をするという 手ぶらで来て、手ぶらで帰るというスタイルにも、常に物質を作っている身からしたら非常にかっこいいと思っています。自身にとっての言葉というツールの最上級のフィルターは落語になっています。
立川志の輔師匠と春風亭昇太師匠がテレビ番組で、 「おーい、〇〇さーん」という声の大きさで、その家の部屋の大きさを表したりするや、 「おい、向こうからいい女がやってきた」というと、 それぞれの「いい女」を想像するといった事をおっしゃっていて、 "凄い"と感動すると共に、その若干のニュアンスの違いや言い方でイメージが変わるということが、 自身が英語を話す際に感じる 「日本語で言うと、もうちょっとこういうニュアンスなのになぁ」とか 「英語のこのストレートさは日本語の際には柔らかくなってしまうな」 という感覚と似ているなと思いました。
エラ・フランシス・サンダース氏の本"翻訳できない世界のことば"のように、 ひとつでは訳しきれない、違った角度から見ればまたフレッシュに見えるような事がやりたなぁと。そのまま言葉や会話について考えると、こういった翻訳できない言葉や、 そもそも英語力が母国語よりも半分以下で会話する場合など、そこには未完成のものを自分で補完する状態が多々あると思います。
ネイティブ同士での会話でさえ、ちょっとしたニュアンスの違いで補完する内容が変わり、お互いが見ている景色がガラッと変わる。西洋の首や頭のない彫刻やサクラダファミリア、侘び寂び といった未完・不完全の美はその方が風情があるといった側面もあると思いますが、 補完して自身の理想に近づけているという側面もあるのかなと。
ファッションの素敵なところはルックやランウェイを見て、このルック素敵・このルックのようになりたいと思う側面もありますが、1フリックで正解らしいものが見られる現在だからこそ、自身で補完して自身で正解にするみたいな在り方のコレクションが一つくらいあってもいいのではないのでしょうか。
1 : SUPPLYMENT SCAPE 補完する景色 未完成ではなく、補完するための余白をデザインする 余白をディテールとする 布と身体の余白もディテールとする
2 : OTHER’ S PROJECTION 他人からの投影 小さい頃に、「自分が見えている赤は他人から見たら同じ赤に見えるのか?」とよく思っていて、 言葉のニュアンスが受け手によって違うように、もしかしたら他人にはこうみえているかもしれないという「if」の世界でデザインする。 科学的にそうじゃなくても、そう思うことでデザインの隙間が生まれ、素敵だなと思っています。 みんなルイジギッリの写真のような景色に見えていたら素敵な世界なんじゃないかと勝手に思っています。
3 : WORD PLAY 言葉遊び 服の品名等のワードや色んな解釈ができる言葉で遊んだモノを作成 初めの話に戻りますが、立川志の輔師匠と春風亭昇太師匠が 「おい、いい女が向こうからやってきた」 というと、それぞれの「いい女」をそれぞれのスクリーンに投影してくれる。 お客さんに仕事させているだけという落語家らしいオチと それぞれの正解で鑑賞できるという幸福値が結構高めなところが素敵だなと思っています。 是非、これを読む・ランウェイを見るみなさんにもそれぞれの正解が見える補完メガネをかけて ご覧になっていただきたいです。 やはり私は、理解される服ではなく解釈される服が作りたく、 そういったものが必要なんじゃないかと思っています。
では、 「おい、向こうから理想のルックが歩いてきた」
参考書籍
エラ・フランシス・サンダース / 翻訳できない世界のことば
RONI HORN / REMEMBER WORDS
LEONARD KOREN / Wabi-Sabi for Artists, Designers, Poets & Philosophers,
レナード・コーレン / わびさびを読み解く
立川志の輔 / 志の輔の背丈